
起きたことひとつひとつを マイ・ルールで ジャッジしていないだろうか。 「ふつうは」 という言葉ひとくくりで だれかの 何かを批判してないだろうか。 そこにはその人を想う「愛」は あるのだろうか。 「愛」のあるジャッジだと 言い切れるのだろうか。 自分のなかのあたりまえや 自分のなかでの「普通」を 疑ってみよう。 自分のなかの「普通」や 自分のなかの「当たり前」は 誰かの「普通」ではなく 誰かの「当たり前」ではないことなんだと 知ったとき 見える世界が変わってくる。 でも この審判は大事。 近江高校準々決勝進出 おめでとう!すごいにゃあ (今日は、お呼びじゃないかと 思ったにゃ(=^・^=))
相談員:瀧口